高校生がつづる 森・川・海 聞き書きの本棚

ただ生産するだけじゃない

場所は岩手県和賀郡西和賀町。岩手県の南西に位置する緑豊かな町です。

名人は、高橋医久子(いくこ)さん。彼女は結婚してから農業を始め、わらび粉生産や地元の食文化を生かした加工食品づくりを行なっています。

きっかけはお客さんから言われた「ここの町って、温泉以外何にもないね。」という言葉でした。そこで高橋さんは温泉以外でお客様を楽しませるような西和賀らしいものがあればいいなと感じたそうです。そこで目をつけたのが「わらび」。それまで西和賀ではわらびは雑草のような存在だったので、わらびを畑に植えることは反対されましたが一年かけて周囲を説得しました。その後、観光ワラビ園を開設すると共に、平成20年には岩手大学主催のアグリフロンティアスクールに入学し、農業経営を一から学びました。

「コンセプトはお母さん」

仕事をする上での立ち位置は西和賀町の農家のお母さん。家族の健康を願う母の気持ちを大切に、安心安全な食品を心がけています。

「農業って素晴らしい」

「何事もかたちを変えても継続してこそ意味がある。」と高橋さんは話します。そして高橋さんは「農業・農地を守ること」を今の目標にしています。また、農業によって交流人口を増やすことによって西和賀町の地域活性化に繋がり、後継者問題にも良い影響を与えるのではないでしょうか。

聞き書きをしたのは秋田県の高校に通い、将来農業関係の職につきたいと考えている柏木心寧さん。柏木さんは名人の、仕事を現状維持で満足せず計画を立てて目標に向かう姿勢、そして目標を達成するために研究したり学んだりすることに意欲的な姿勢を見て、見習いたいと感じたそうです。

よろしければ、柏木さんの聞き書きを本文でぜひご覧ください。

人と町を繋ぐ農業

名人
髙橋 医久子さん
聞き手
柏木心寧

わらびを農地に

平成13年に町から「わらびの根をあげますので、それを植えて町おこしに協力していただけませんか」というようなお話がありました。それについて私は興味を持って、わらびを植えてみましょうよと提案しました。だけど西和賀にとってわらびはどこにでもある雑草みたいなものだったので、「たとえタダでも、雑草を農地に植えるとは何事だ」「しかも、地主さんから借りた大切な土地に」と旦那に反対されました。私は砂ゆっこのお客様の話がずっと頭のなかにあって、西和賀のわらびは特別だから、もしかしたらそのわらびでお客様を楽しませることができるかもしれないと思ってました。それで1年かけて旦那を説得しました。
もらった根っこを植えてもたいした面積の畑にはならないから、最初はわらびの根を増やすことに専念しました。わらびは手入れが良ければ、1年間で根っこが10倍に増える。ですから、春に植えて秋に根を掘り出し、それを植えて面積を増やす。気がついたら、たった2aのわらび畑が5年で2・4haに増えていました。

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愛情込めたこんにゃく作り

場所は長野県飯田市。飯田市は長野県の最南端に位置し、東に南アルプス、西に中央アルプスがそびえ、豊かな自然と優れた景観、四季の変化に富んだ地域です。

今回聞き書きするのは、小林文人さん(61)。小林蒟蒻店で20歳の時から約40年間、こんにゃく作りをしています。

当初は家業を継ぐのが嫌だった小林さんがこんにゃく作りのおもしろさを知ったのは、「こういうのができました。お願いします」と初めて新商品を商談に持って行った時でした。そこからやる気も出てきて自分で新商品を作ってみたり、お得意を開拓していったそうです。「商売はタイミングもあるし人脈も大事だなって思いますね。」と小林さんは語ります。

「こだわりは水」

水は、井戸から出た地下水を使っています。水道水は塩素が入っているため、こんにゃくの凝固剤、水酸化カルシウムの量に差が出てきてしまい、美味しさが失われてしまいます。なので中性に近い井戸水を使っています。

「練り屋の心意気」

小林さんは、時代の流れに合わせて商品を値下げするのではなく、「これはこの値段でないと売れませんよ。値下げはしません。安売りはしません。」と言えるようなこんにゃくを作っています。そのために、お客さんにおいしいねと喜んでもらえるこんにゃくを毎日愛情込めて作っています。

「自分で何か商売をするとしたらね、商売ってのは、お客さんを感動させたその対価としてもらうのがお金なんで、お客さんを感動させることを目的に商品を作ってもらいたい。」と小林さんは話します。

聞き書きを行ったのは、愛知県の高校に通う犬飼和志さん。たくさんの面白いお話が文字数に収まらず悔しい思いもしたそうですが、インタビューの書き起こしの過程でどんどん名人の言葉や話している時の表情、おいしいこんにゃくを作るためのこだわりが心に刻まれたと話します。

犬飼さんがたくさんの貴重なお話の中から厳選したという聞き書きを、ぜひ本文でもご覧ください。

 

こんにゃく三代~「バタ練り」のこんにゃくが一番おいしい~

名人
小林文人さん
聞き手
犬飼和志

練ってみないとわからない

芋を使ってると芋によって粘り具合が違うんですよね。こんにゃく芋は種類によって粘りが違うし、おんなじ種類でもできた土地によってちょっと違うんですよね。あと掘り取ったおんなじ1キロのこんにゃくでも乾燥してる方が、水分が少なくてギュッとしまってる状態だから固いこんにゃくになる。そういう点もあるんで、仕込みのときにノリの具合をみて「今日は固いかな、柔やわいかな」で足す水を減らして、600リッターにしようと思ったけど580リッターにしてやめるとか、「結構固いでそいじゃぁもう20リッターくらい増やそう」とかそんなように手加減しながらやってますね。

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次世代につながる姿勢

霧島山系をのぞむ盆地に位置する宮崎県都城市。現在は国内屈指の畜産のまちとして有名ですが、古くから樫材の生産も盛んに行われてきました。その豊富な樫材を利用して、柄木(農具の柄)や木刀作りが盛んに行われてきました。現在、市内の木刀製作所は、わずか3軒となりましたが、その3軒が全国に流通する木刀の約9割を作っています。

今回、高校生が訪ねたのは、そのうちの一つ、新留木刀製作所の新留義昭さんです。製作所の2代目として18歳の時から仕事を習い始めた新留さんは、木刀作りを40年以上続けてきました。

木刀には、100以上も種類があり、それぞれに型が存在します。「種類によって全部反りが違ったり、大きさが違ったりする。この型こそが、私らが作ってきた生命線なんです。これをいくつ持っているかで、どれだけ木刀が作れるかが決まってくる」と言います。

そんな名人を聞き書きしたのは、沖縄県に住む高校2年生の狩俣恵さんです。狩俣さんは小学校時代に剣道を習っていたので、木刀がどのように作られるのか以前から気になっていて、取材が決まったときは嬉しかったそうです。

目の前で、木刀作りを見せて頂きながら取材を行ったという狩俣さん。彼女の聞き書き作品には、名人が使っている道具の特徴や、木刀作りの手順が丁寧にまとめられています。名人が一本一本丁寧に木刀を作る姿勢は、猪俣さんが、これから様々なことに取り組むときの心構えにも大きな影響を与えたようです。

木刀一途 ~都城で栄えた職人の技~

名人
新留義昭(宮崎県都城市)
聞き手
狩俣恵(沖縄県立中部農林高等学校2年)

カンナは世界に一つだけ

やっぱり木刀は元々硬い材料だから削りにくいんです。建築業の大工さんなんかが使う木材とは硬さが違うんです。だからそれに応じて特別なカンナを使うし、刀の削る部分に応じて20丁、30丁とあって使い分けます。私らのカンナは特殊なものでね、カンナを買って、あとは自分で手作りします。カンナは普通に市販されてるから、それを買って自分でちょっと加工して使います。だから木刀1本作るのに何種類かカンナを使って仕上げるという感じ。削る場所によってカンナを使い分けている。

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故郷の未来を照らすために

みなさんは「七島イ」と聞いて、いったい何を想像されるでしょうか。

七島イとは、現在は大分県の国東半島でのみ生産されているイグサに似た植物で、畳の原料となるものです。七島イには約350年もの歴史があり、その丈夫さから柔道用の畳として使われるなど、全国で親しまれていました。しかし、手作業の工程が多く、生産が過酷であることなどから、平成初期に国東半島が全国唯一の生産地となると、2009年には生産農家が5軒にまで減少、産地消滅の危機に陥ります。そうした状況をうけ、翌2010年に生産者や畳屋、行政、JAなど地元の人々が「くにさき七島藺振興会」を発足させ、新規就農希望者に対する研修や七島イ工芸士の作品販売などを始めました。その結果、現在は少しずつ農家数も増え、アクセサリーなどの新たな工芸品が東京でも販売されたりと、その魅力は着実に広がっています。

その「くにさき七島藺振興会」の発起人の一人である七島イ農家の松原正さんを、愛媛県の高校に通う井上京香さんが取材しました。

井上さんは多忙な学校生活のなか、一つ一つのことが中途半端になってしまう自分を変えたい、自分自身の視野を広げたいとの思いから聞き書き甲子園に参加しました。そんな井上さんに、「七島イってこんなにもいろいろな使い道があっていろんなものに姿を変えるんだよ。素敵でしょ」と名人は語ります。名人の七島イに対する愛情、そして故郷の国東市に七島イ栽培で貢献したいという情熱にふれた井上さんは、自分自身をかえりみるだけでなく、故郷のために、周りの人たちのために何かに取り組むことの大切さを知ることができたといいます。

井上さんはできあがった作品に「あなたの暮らしに七島イを」とタイトルをつけました。作品を読めば、きっとあなたも、七島イに触れてみたくなるはずです。

 

あなたの暮らしに七島イを

名人
松原正(大分県国東市)
聞き手
井上京香(愛媛大学附属高等学校2年)

やりがい

単純に七島イを育てることが面白い。過酷な作業が多くて体力はきついけど、七島イを自分で一から育てて収穫まで出来たらうれしいし達成感がある。それにそれを使って畳表に加工する。そうしたら1つのもので2回喜びが感じられる。他の農産物とかではあまり味わえないんじゃないかな。

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喜んでもらえる“仕事”と“役割”

神山町は、徳島県の北東部に位置しています。全面積の8割以上を山地が占め、中央を流れる鮎喰川(あくいがわ)に流れ込む数本の谷川が、季節ごとに渓谷の美しい景色を作りだしています。日本神話に登場する穀類の神「オオゲツヒメ」を祀る上一宮大粟神社があることから、古来よりこの地で穀物栽培が行われていたことをうかがわせる歴史もあります。近年では、IT系のベンチャー企業などが相次いでサテライトオフィスを構えるようになり、移住希望者も増えているなど、地域創生の旗手としても注目されています。
この地で50年以上にもわたり、しいたけ栽培を続ける山の名人、杼谷潔さんを訪ねたのは、香川県在住の高校生、廣瀬愛唯さん。初めて名人を訪ねる日、山間部を進んでいくバスに揺られながら、期待と緊張で胸がいっぱいになっていました。
「遠かったやろ?」
名人は、廣瀬さんにやさしく声をかけてくれました。印象に残っているのは、名人の言葉よりもその表情だったと感想を述べてくれた廣瀬さん。その作品には、しいたけ栽培の実際が丁寧に聞き書きされています。そして時折、メールメッセージによく使われる「(笑)」という表現も見られます。このようなところに、懇切丁寧に答えてくださる名人の人柄や、にこやかな表情を伝えたかった廣瀬さんの思いが込められているのではないかと感じます。

名人は祭りの世話役なども務めておられ、地域振興にも尽力されています。そこに暮らす人々が協力して、楽しみながらその魅力を高めていこうとすることが、地方創生を成功させる観点からは一番大切なことではないかと思います。
愛着のある地元とそこに暮らす人々を思う名人の心。それに気がついたとき、廣瀬さんは杼谷さんの取材ができたことに感謝したと語ってくれました。

神山の宝

名人
杼谷潔(原木しいたけ栽培)
聞き手
廣瀬愛唯(香川県 香川誠陵高等学校1年)

本伏せ

6月ぐらいになると本格的にほだ木を組んで山の木陰に置いとく。あんまり乾き過ぎてもいかんし、湿り過ぎてもいかん。いい菌を残すために木陰に置いとく。置きかたは『よろい伏せ』と『井げた積み』。一番いいのはよろい伏せ。井げた積みはあんまり高うにしたらいかん。高かったら、上が乾燥し過ぎて下は湿り過ぎる。やけんほんまは4、5段で1mぐらいの高さがえんよな。でもうちは10段で1m50㎝ぐらいまで積んどる。楽なけん高うしよる(笑)。

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木を山を森を育てていく

奈良県川上村は、面積の約95%を山林が占める自然豊かな村です。室町時代から続く吉野林業の発祥の地で、最高級の建築材と言われている吉野杉・吉野桧の主産地としても知られています。

そんな川上村で高校生が訪ねたのは、玉井久勝さんという林業の名人です。「私が生まれたときには家を継ぐという道筋ができていた」と自ら話すように、代々林業を続けてきた家に生まれた方でした。

雪解けと同時に苗を植えて木を育て、梅雨が明けたら大きくなった木を伐る。秋から春にかけては山から木を運び出す。そうやって玉井名人は、1年を通じて山の仕事に取り組んでいます。そこには、川上村で昔から行われているこんな知恵もありました。「葉がらしといって、伐った木を3ヶ月から1年の間置いておいて、木の中に含まれる水分を葉っぱから蒸散させて、木が持っている水分量を減らします。水分を減らすということは、木の色が良くなって材が軽くなり、運ぶのが楽になるというメリットがあります」

一方で、名人はこんな話もしてくれました。「祖父が植えてくれて、父が育てたのを、私が伐ってお金にするという、長いスパンをかけて育ててきた木や山なので、その成長過程をずっと見てきている」

聞き書きをした岡山の高校生・藤原未央さんは、こうやって長い年月をかけて森を育てている名人の仕事に深く感動したそうです。

500年以上も昔から続いている林業を受け継ぎ、次の世代へと森を残していく名人の仕事を、皆さんも読んでみませんか。

自分の後ろに残っていく仕事

名人
玉井久勝(奈良県吉野郡川上村)
聞き手
藤原未央(岡山県立矢掛高等学校1年)

やりがい

私たちは代々やっています。だから自分が管理している山が育っていく様子っていうのが、代々かけて受け継がれています。私の2代前の祖父が植えてくれて、父が育てたのを、私が伐ってお金にするという、長いスパンをかけて育ててきた木や山なので、その成長過程をずっと見てきている。(中略)悪い木を伐って、いい木がいっぱいの山が広がっていく様を、毎日毎年、10年、 20年というかたちで、徐々に育っていく様が見れるということが、一番の自分にとっての生きがいやモチベーションで、やりがいを感じるところです。

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微力ではあるけれども、無力ではない

高校では新聞部に所属し、顧問の先生の紹介で「聞き書き甲子園」に参加したという髙垣さん。山口県下関市豊北町のイカ釣り漁の名人を聞き書きしました。

近年、イカが釣れる数が減り、特に今年は不漁とのこと。その理由について尋ねると、通常は26~7度である夏場の海水温が、今年は30度近くまで上がり、イカの稚魚が死滅したこと等が原因ではないか、とのこと。そして「イカは素手で触ったらダメ。人間の1度の差は、魚にとっては10度ぐらいになるから。温度に敏感な生き物なんよ」と、その生態や漁の仕方まで詳しく話を聞きました。

その一方で、名人は魚食普及に取り組み、また近くの小学校では「海の終業式」を20年間、手伝ってきたとのこと。磯端にサザエを蒔き、終業式が終わると子どもたちはサザエ拾いを体験し、保護者と一緒につぼ焼きで食べる、そんなユニークな終業式です。現在は、恵まれない子供たちを招いて、海で一日遊ばせる活動もしています。さらに10年ほど前から漁業の研修生を受け入れ、後継者育成にも取り組んでいます。

そんな名人に、なぜ、熱心に取り組むのかと尋ねると、「見たり聞いたりすると、何か自分にできることはないかと考える」との答えが返ってきました。

髙垣さんは、名人の聞き書きを通して、何より「現場に立つことの大切さ」、「一つの問題は、その一つだけで存在しているのではない」ということ、そして「主体的に動くことの大切さ」を学びました。「微力ではあるけれども、無力ではない」。名人と出会って改めて気づいた、その言葉を胸に、その後、髙垣さんは地元の広島で被爆体験を取材するなど、社会のさまざまな課題に取り組んでいます。

漁師は、想像の世界で働いちょる

名人
春永克巳(山口県下関市)
聞き手
髙垣慶太(広島県 崇徳高等学校2年)

漁師を育ててみるか

ここ10年ぐらい漁師の担い手を育てよる。それは、担い手もおらん、後継者もおらんって漁業が衰退すれば、一本釣りみたいな日本の伝統的な漁法も廃れるから。(中略)朝が早い、厳しい、辛い。ほんならやめて帰れっちゅうんよ。続かんけ。でも、今までそういう人は一人もおらんかった。(中略)私たちもその子たちの人生を預かっちょるから、いい加減なことはできん。漁だけじゃなくて、困ったときは悩み聞いたり、家にご飯食べ来いっちゅうたり。この子たちが路頭に迷わんように、ちゃんと漁で食っていけるようにしてあげんといかんのよ。

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地域を支える海女のたくましさ

志摩市は、三重県東南部にある志摩半島の南側に位置し、市全域が国立公園に含まれています。英虞湾、的矢湾といったリアス式の海岸があるのが特徴的で、大小の島々が点在する生態系の豊かな地域です。かつては、豊富な海の幸を朝廷に献上していた歴史もあります。今回ご紹介する作品は、その志摩市で約40年にわたり海女を続けている名人への聞き書きです。
恵まれた地形と豊かな藻場を背景に、海女漁の歴史は古く、縄文時代の中頃にはすでに素潜り漁が行われていたと伝えられています。海女が捕った海産物は伊勢神宮に奉納され、海女が中心となる祭りが伝承されているなど、「海女文化」も色濃く残っています。

女性が素潜りで獲物を捕る漁は、体力や経験を要する、自然相手の厳しい仕事だといえます。しかし、地域社会が古来よりこれを女性の職業として認め、男性と同様の役割が与えられてきたということが、この仕事に対する誇りや自信を生み出しているのでしょうか。『海女に「つらい」なんて言葉は似合わない』というタイトルがつけられたこの作品には、体一つで漁を行う海女のたくましさが描写されています。

聞き手である伊藤さんは、仕事としての厳しい面がありながらも、名人の言葉から「つらい」という感情が感じられなかったことに感激し、「楽しみをつくって働きたい」と語る名人の姿勢にあこがれを抱きました。また、伊藤さんは名人から「いろんな人と出会うことが大事」という言葉をもらいました。作品からは、助け合いながら切磋琢磨する海女同士の関係や、地域の人々とのつながりから得られる経験が大切であることも感じ取れます。

長年受け継がれてきた、志摩の海とともにある海女の世界。あなたも少しのぞいてみませんか。

海女に「つらい」なんて言葉は似合わない

名人
三橋まゆみ(三重県志摩市)
聞き手
伊藤愛(三重県立桑名高等学校2年)

海女っていうのは

海女は「欲と根性」があったらだれでもなれるんです。ものをとろうとする「欲と意欲」と辛抱する「根性」と。辛抱っていうのはすごい疲れるし、苦しい仕事やから。海女はね自分に厳しいんです。

こんなにえらいと思いながらも行くっていうのは何の魅力があるんやろうね。海女の仕事っていうのはその日のうちに値段、金額っていうかたちに出るっていうのが一番のやりがいやと思う。目標を達成したらうれしいし、それが目に見えることがいい。海女っていうのは結果が出るからやれる。

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山の幸を保存し調理する知恵

愛知県豊根村は、「奥三河」と呼ばれる東三河地方北部に位置し、長野県、静岡県と接しています。村の人口は、県内では最も少なく1000人余り。面積の9割以上を森林が占めています。良質なスギ・ヒノキのほか、山菜やキノコなど、山の恵みが暮らしを支えてきました。また、村には様々な民俗芸能が伝承されており、中でも夜を徹してさまざまな舞が行われる「花祭り」は人気で、毎年多くの観光客で賑わいます。高校生が取材した名人は、そんな奥三河で長年、民宿「花香」を営んできました。

「花香」の自慢は、四季折々の山菜や木の実、きのこ、あるいは鹿やイノシシ、川魚などの料理。冬は雪に閉ざされるこの村では、さまざまな山の幸を干し、あるいは塩漬けや味噌漬け、粕漬け等にして長期間、常温で保存しました。山村ならではの食文化の知恵です。名人はその方法を「昔から田舎に住んでいるもんで、自然に教わったんだね。もう気が付いたときには身についていた」と語ります。

聞き書きした安東さんは、名人の民宿に泊まらせていただき、たくさんの料理もご馳走になりました。インスタント食品やレトルト食品、あるいはファーストフードが当たり前の高校生にとっても、その美味しさは格別だったようです。

「食事の時間の名人との会話は一番の思い出です。作品を読み返すたびに会話を思い出す」という安東さん。今度は春先にお邪魔して、山菜の採取から保存・調理まで、体験しながら教えてもらえるといいですね。

生まれ変わっても花香をやってみたい

名人
今泉なを子(愛知県北設楽郡豊根村)
聞き手
安東里紗(東京都 成城学園高等学校2年)

四季に合わせて

季節ごとに山菜は変わる。春が一番いいね。春は新芽がたくさん出る。春一番に出るのはこごみ。夏にはみょうがの芽がたくさん出る。みょうが料理なんかあるよ。

秋の山菜っていうのはないな。秋は新芽が出ないもんで、実がなったもんが落ちる。だから秋は山菜っていうより、実だね。とちの実や胡桃、ナッツだとか。それを今度は利用してご飯を作る。とちの実はとち餅にする。胡桃は五平餅のたれにするとかね。

冬は雪だから山菜は採れない。そのために保存しておく。それで冬は保存食みたいなかたちで食べる。塩抜きをして食べたり、ナスも夏にいっぱい採れるから漬けてといて冬に食べる。

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聞き書きで結ばれる、サバと地域創生の夢

小浜市は福井県の南西部にあり、若狭湾に面している都市です。古より港町として栄え、塩や海の幸などを朝廷に献上してきた御食国(みけつくに)としての歴史があります。特に江戸時代は鯖が大量に捕れていたことから、都へと続く道は「鯖街道」と呼ばれるようになりました。近年、開発等により漁獲量が減少したことから、新たに鯖の養殖に力を入れるようになったそうです。
今回ご紹介する作品の名人、浜家さんは、そんな鯖養殖を支える海の名人の一人。この作品では、鯖養殖をめぐるヒストリーが名人の口調で語られています。また、方言交じりの語り口調から、小浜の海の豊かさと人々の暮らしぶりが見えてくるような雰囲気があるのも特徴です。作中で浜家さんは、(養殖には最先端の技術も用いられるものの) 生き物である鯖には「気持ちをもって(込めて)」接していくことが大事と教えてくれました。そして、この鯖を全国の人に食べてもらえるのが夢と語ります。

聞き書きをした大和さんは、地域の伝統文化や地域創生などに興味があり、失われるには惜しいものを後世に残すための新しいカタチ作りをする、という夢を持っています。これまで、伝統や民俗についての知識を得ていたものの、そこに暮らす「人」のことを考えてこなかったことに気づきます。浜家さんが地域の方と話をされる様子や鯖への思い、小浜への愛など、さまざまなものを見聞きしたことで、大和さんは強く意識したそうです。そこにどんな人がいて、受け継いだものや現代の問題をどう考えていくか、どんなふうに地域が動いていくかは、結局、カタチではなく「人」なんだな、ということを。夢に近づくためのヒントが得られたでしょうか。

御食国(みけつくに)から鯖を愛して〜鯖を愛する小浜やから〜

名人
浜家直澄(小型定置網漁・マサバ養殖)
聞き手
大和弘明(大阪星光学院高等学校2年)

養殖のシステム

鯖の養殖は県立大学とか栽培センター、市、漁業関係者、高校とかそういうのと一緒になってやっとる。月一回のサバ会議で話し合いをします。(中略)今んとこ塩分濃度とかが変わったからゆうて俺が餌の量変えたことはないね。水温が高くなると餌控えることはあるけどね。上に上がって来んようにね。結局鯖の様子見て餌の量とか変えるね。
高校は酔っぱらいさばを使って缶詰作ったりしとる。市は取材つないでくれたり、宣伝してくれたりするな 。手伝いしにきてくれることもあるな。ありがたいな。
俺も小浜に一匹でもサバを増やしたい。 酔っぱらいサバを全国の人に食ってほしいな。

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緻密な仕事の中にある思いやり 

皆さんは、「大子那須楮」をご存知ですか。茨城県大子町で生産されている和紙の原料「楮」で、美濃和紙・越前和紙に用いられる最高級の楮と言われています。

その歴史は江戸時代にまで遡り、水戸光圀により植栽が奨励されて以来、地域の特産品として知られるようになりました。「大子那須楮」は繊維が細かく緻密で、現在でも重宝されています。ユネスコ無形文化遺産に登録されている本美濃紙には、「大子那須楮」のみが使用されているそうです。

そんな「大子那須楮」の栽培から加工・販売までを手掛ける名人を取材したのは、岩手県の高校に通う遠藤愛斗さん。「知らないことを追い求めれば追い求める程、新しい発見があった」と振り返る遠藤さんの聞き書き作品には、私たちの知らない「大子那須楮」の世界が広がっています。楮の木を育て、根本から収穫した後、長さを揃えて窯で蒸し、手作業で皮を剥き、さらに表皮を取って天日干しにする。こうして1年がかりで出荷出来るようになるのです。

さらに、遠藤さんが取材した齋藤邦彦名人は、出荷前に虫食いや腐った部分等を取り除く、もうひと手間加えるそうです。「紙漉き屋さんの『塵取り』っていう楮を水に浸けてゴミやホコリを取る作業の負担が軽くなるから」。「大子那須楮」の生産を通じて日本の伝統文化を支えている名人の緻密な仕事と思いやりに、皆さんも触れてみませんか。

紙漉き屋さんを思いやり、良い楮を作るんだ

名人
齋藤邦彦(茨城県大子町)
聞き手
遠藤愛斗(岩手県立盛岡農業高等学校1年)ききがき

楮の栽培から手間を惜しまない

幹から剥がした皮に黒い皮や甘皮っている緑色の皮がついてるのを小包丁で剝いで白くするんだ。それを表皮取りっていうんだよ。(中略)

黒皮、甘皮を取って、大子町の冬の乾燥した寒風に2日くらい晒して干すんだ。そして、そのまま商品として出荷するのではなく裏側まで見て小さなゴミや虫食い、腐った部分は取り除いてから、出荷するんだ。そうすると紙漉き屋さんの「塵取り」っていう楮を水に漬けてゴミやホコリを取る作業の負担が軽くなるから。(中略)

加工が終わったら、腐ったところはないか、傷ついたりしていないか確認するの。楮の木を100㎏伐ってきて、6㎏しか製品の分は取れない。私のところで今年1年で加工した製品は全部で約1800㎏くらいだよ。

 

 

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伝統を受け継いでいくとは

今回ご紹介するのは、新潟県柏崎市の名人を取材した高校生の聞き書き作品です。

柏崎市は新潟県のほぼ中央に位置する地方都市で、日本海に面した市街地を少し離れると豊かな田園風景が広がるなど、海、山、川の恵みを生かす生活文化が今も残っています。特に山間部の小さな集落では雪国ならではの暮らしの知恵や伝統食、ものづくりの技術などが伝えられています。

また、柏崎市は2007年の新潟県中越沖地震で大きな被害を受けた地域でもあります。当時復興支援にあたった若者を中心に「NPO法人aisa」(あいさ)が設立され、現在も人々の暮らしに寄り添う持続的なまちづくり活動が精力的に行われています。取材する名人の推薦や高校生の受け入れは、「aisa」のスタッフの皆さんに協力いただきました。

そんな柏崎市を訪れた群馬県在住の高校生・橋場さんは、伝統の保護について興味があり、聞き書き甲子園に参加しました。取材したのは菅笠づくりの名人です。菅笠は雨、雪に強く、通気性も良いため、農作業や雪降ろしなど、季節を問わず用いられてきました。今はもう作り手はほとんどいないが、菅笠には生活の知恵が込められていて、「菅笠を作るのが好きだから続けている」と名人は語ります。名人の菅笠に対する想いから、橋場さんは伝統を守ることだけを意識し過ぎると、「かたち」だけを継承することにこだわってしまうかもしれない。「かたち」だけにこだわると、逆に伝統を廃れさせてしまうのかもしれないと気づかされたそうです。伝統を受け継いでいくとはどういうことか、みなさんも一緒に考えてみませんか。

天才を超える工夫

名人
中西ミツエ(新潟県柏崎市)
聞き手
橋場そよか(ぐんま国際アカデミー高等部2年)

菅笠に込められた知恵

新潟は雪国でしょ。雪国の人は雪降ろしに屋根に上がるときには必ず笠をかぶらせるの。ヘルメットは、つばが小さいでしょ。万が一、上から落ちた場合、笠はね、顔と雪が落ちてくる間に空気の間ができるのね。顔に対しての空気の場所が。そうすると命が助かる。だからね、必ず冬はね、「笠かぶって上がれ」って言われたもん。みんな意味があってね。昔の知恵って大したもんですね。

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引き継がれる「草木塔」の精神

高校生が取材した地域のひとつ、山形県飯豊町中津川地区(旧中津川村)。ここには人々が先祖から受け継いできた共有の財産があります。それはナラやブナなどの広葉樹を中心とした森林。その広さは約1万1千ヘクタール、東京都心を巡る「山手線」内側の1.5倍以上の面積があります。

中津川の人々は飯豊町に合併した後も、その森林を財産区有林として共同管理してきました。かつては炭を焼き、ナメコを生産し、近年はチップ材として広葉樹を出荷しています。また、各家はその一部を借りて、薪をとること等に利用しました。

伐採したばかりの山は、日当たりが良く山菜の宝庫になります。広葉樹は伐採から1~2年たつと、切り株から萌芽し成長するので、30~40年もたてば元の森林に戻ります。「持続可能」(サスティナブル)という言葉がもてはやされる以前から、中津川の人々は生活に必要な広さの山を伐採し、萌芽更新させながら繰り返し利用してきたのです。

木を伐るときには、山への感謝の気持ちも忘れませんでした。その証として、この地域には古くから「草木塔」が建立されています。草木の霊に感謝し、その再生と成長を祈る。その精神は、イタヤカエデの樹液を集めて特産品のメープルシロップをつくる、現代の名人にも受け継がれています。

そして聞き書きした高校生、江波戸さんは「木は宝」という名人の言葉、そして「限りある資源を使うのなら、最良の方法で」という教えをしっかりと心に刻みました。

木は宝なの。木ぃ切ってしまえば、あと終わりだから

名人
中善寺善三(山形県西置賜郡飯豊町)
聞き手
江波戸彩花(栃木県立宇都宮女子高等学校2年)

採取期間

樹液が溜まるスピードはお天気次第なんだ。冬の寒い季節のなかでも、お天道様が出てあったかい時期だと、木も固まってないから良く溜まる。でも天気が悪いと穴開けたって出てこねえ。(中略)

木さおそらく冬の寒さで凍らないために甘い汁を貯めてると思うんだ。だからそれを採るっちゅうんは、木に対しては悪いことをしてるんだ人間が。だから山の神とかその木の精霊に対して、分けてくださいって感じで謝ってもらってくる。

高校生がつづる 森・川・海 聞き書きの本棚

仕事観から伝わる、飛島への想い

森・川・海の「名人」を全国の高校生が一対一で取材する「聞き書き甲子園」。2002年にスタートして以来、農林水産省の関連団体より選定・表彰される名人に聞き書きを行ってきました。2019年(第18回聞き書き甲子園)からは、高校生の取材受入や名人の推薦に協力する市町村(地域)と連携し、各地域が推薦する複数の名人を聞き書きする形で実施しています。
以降の「聞き書きの本棚」では、高校生が取材に訪れた地域の特色等を交えながら、代表的な作品をご紹介したいと思います。

山形県の唯一の離島、飛島。酒田港の北西39キロの日本海上に位置します。周囲約10キロの小さな島に希少な動植物が多数生息し、海の恵みも豊かな当地には、バードウォッチングや海水浴、釣りを楽しむ方が多く訪れるそうです。一方で、数々の伝説や離島特有の生活様式なども残されています。
そんな小さな異世界に足を踏み入れたのは、東京の女子校に通う宮島さん。飛島生まれの漁師である池田さんを取材しました。池田さんは、先祖代々漁業に携わる家系に生まれ、物心ついた時から船に乗っていたそうです。たたきあげてきた漁師としての経験により、豊富な知識をもつ池田さんを、宮島さんは敬意を込めて「海のオールラウンダー」と呼んでいます。そして、名人の仕事に対する姿勢や生き方の指針になっている「努力」を支えてきたものの中に、飛島への深い愛情があることを感じ取りました。

飛島でも、高齢化による人口減少や産業の衰退が問題化してきているようですが、近年は、UターンやIターンした若者たちが合同会社を設立し、飛島を活性化しようとする動きも見られます。聞き書きを経て、宮島さんは今後について、「どんな形であれ、飛島にかかわり続けたいと強く感じる」と述べてくれました。名人が大切にしてきた自然と生きる知恵や技、そして島への想いも受けとって、宮島さんはこれからどのように飛島とかかわっていってくれるのでしょうか。

海のオールラウンダー~長い積み重ねの上にある今~

名人
池田幸一郎(山形県酒田市)
聞き手
宮島梧子(東京都女子学院高等学校2年)

オールラウンダーの仕事道具

魚によって漁法は本当にさまざまだ。網の目合い、網を仕掛ける場所、使う道具やエサも、全部変わってくるでの。そやけ、漁さ行く前に、季節や天気も考えて、今日は何がいいんだろう、って自分で判断する。 一番整備に手間がかかるのは網だね。おもりになるロープは、1mで何㎏もある。これに、とるもんに合わせて他の材料を絡めていく。この下にあのおもり付けて、こっちにこのおもり使って、あれとそれの間にこれを付けてこの網を付ける…って、自分で考えて網を作るんよ。

高校生がつづる 森・川・海 聞き書きの本棚

名人の優しさに出会う旅へ

夏の日差しがまぶしい毎日です。皆さん、お元気ですか。今年もまた、聞き書き甲子園に、あの熱い瞬間がやってきました。卒業生ならば、皆さん、わかりますよね。全国の高校生が一同に集まる「聞き書き研修」の開催です。「聞き書き研修」は、毎年8月半ばに3泊4日、東京で行います。参加する高校生は、国公立や私立の普通科はもちろん、農業や福祉などの専門学科に通っている生徒もいます。あるいは通信制や定時制、フリースクールに通う仲間もいます。さまざまな同世代との出会いは刺激的。みんな、すぐに仲良くなって話が尽きません。そして研修では、聞き書き実習を通して、聞き書きの手法を学び、本番の名人の聞き書きに備えるのです。

本番の聞き書き取材は、高校生と名人がそれぞれ一対一で行います。名人のご自宅の場所を聞いて、電車やバスを乗り継ぎ、自力で名人の家を訪ねなければなりません。中には、一人で旅に出るのは初めて、という高校生もいます。いったい名人はどんな人なのか。考えれば考えるほど、心配も募ります。でも、これまで名人に会えず、取材できなかったという高校生は一人もいません。名人もまた、高校生が来ることをずっと気にかけながら、心待ちにしているのです。

そんな、初めての名人との出会いをそのまま作品にした高校生がいます。作品は、高校生本人の「おじゃまします」という挨拶から始まり、名人の「気ぃ付けて帰りなっせ」という優しい言葉で終わります。高校生は、この日、一日かけて名人に山を案内してもらい、お世話になりました。

「日本にこんなにも美しい場所があったのかと驚かされました。また何より、手厚くもてなしてくださった名人家族の優しさは、今までに出会ったことのないほどのもので、人々の関係が希薄になりつつあるこれからの時代に、ぜひとも伝え残したいと感じました」

それで自分なりに作品の構成を工夫し、まとめたのです。この作品を読むと、高校生と名人が一緒に歩いた山を、読者である私たちも、まるでそこにいるかのように体験できます。

さあ、皆さん、この夏の暑さを少し忘れて、秋の名人の山へ出かけましょう。

山が好き -名人 高尾義明さん-

名人
高尾義明(熊本県八代市)
聞き手
三川花織(八代白百合学園高等学校2年)

おじゃまします

さ、どうぞ。上がってください。どうぞ。

大丈夫かい。寒くないかい。下とは5℃くらいちがうもんねえ。夏は涼しいどこっじゃなか。寒い。空気よかろ。いいとこだもんね、ここは。

自動車関係の会社に勤めたあと、林業に就いたったい。会社には8年ぐらいおったなぁ。インストラクターもしよるよ。インストラクターって、おれ意味わかんないんだけどね。なかなか難しいなぁ。山への勧誘かねえ。やっぱし山のことをね、知ってもらいたい。山のよさ。山をいちんちじゅうまわってね。大変だけどねえ、なかなか楽しかよ。木の種類とか、いろんなこと教えてね。そして山のよかとこばいっぱい写真撮っとたい。

 

高校生がつづる 森・川・海 聞き書きの本棚

名人の思いに心を重ねる

「聞き書き」の基本、それは「聞く」という行為です。「聞き手」と「話し手」の対話から、作品が生まれます。

「聞き書き甲子園」の場合には、「聞き手」である高校生が「名人」に質問します。丁寧に質問し、話を掘り下げていけば、「名人」の技術や行為のディテール(細部)が見えてくる。そうすることで、その人の仕事の重みと人生の核心に近づいていくのです。

二人の対話はすべて録音し、高校生は、その音声を一字一句、書き起こします。録音を再生しては止め、また書き起こしていく。その作業はしんどい、手間のかかる作業です。でも多くの高校生は、その作業が大切だと言います。録音を聞くと二人の対話を振り返ることができる。その時には気づかなかった言葉、名人の語る表情や間合い、その場の空気。初めは質問できない自分が歯がゆかったけれども、何かの拍子に二人で大笑いし、心が通じたと思えた瞬間……。その嬉しさも、後悔も、恥ずかしさも、感動も、そのすべてがよみがえってくるのです。

たとえば、稲本朱珠さんは、「聞き書き」を終えた後、こんな感想を言ってくれました。

「書き起こした文章を整理していくうちに、名人の言っていることが、いつの間にか、自分の言いたい(伝えたい)ことになっていく。この不思議な感覚は、聞き書きでしか味わうことができないと思う」

手間と時間をかけて、高校生が仕上げた作品は、重なりあう「二人の思い」の結晶です。

 

 

「更新」で守る日本一の里山~茶道を支える池田炭~

名人
今西勝(兵庫県川西市)
聞き手
稲本朱珠(同志社高等学校1年)

僕の訴え  

炭を焼くうえで、僕はモットーとしてることがある。まず、使う人の身になって作るということ。信頼を得るようにね。初めて買うてくれたお客さんは、お金と一緒に「良い炭をありがとうございます」という手紙が必ずついてます。ありがたいことです。お客さんから、こんなお言葉をもらって出来る商売、今あらへん。これで心が温まります。もう一つはね、池田炭は上等だという歴史がある。お茶という日本の文化の一翼を担っていて、そして最高の炭を作って、最高の炭をみなさんに使ってもらってるんだという自負と責任。これを持って炭焼きをやってます。

高校生がつづる 森・川・海 聞き書きの本棚

その人の職業から人生を浮かび上がらせる

「高度経済成長以後、林業も機械化し、すっかり様変わりした。そんな時代だからこそ、森とかかわる伝統的な知恵や技術、文化を掘り起こすことが今、大切なのではないか」
今から20年近く前、ある林野庁の職員は、そんな思いを抱き、作家の塩野米松先生を訪ねました。塩野先生は、たくさんの職人を聞き書きし、本にまとめていました。代表作は『木のいのち 木のこころ』という、法隆寺の宮大工棟梁、西岡常一氏の「聞き書き」です。
「全国から毎年、森の名手・名人を選んで、表彰したい。その名人を選ぶ作業を手伝ってもらえないでしょうか」と、林野庁の職員は切り出しました。
塩野先生は言いました。
「表彰するのはいいけれども、それだけではその人の技術や知恵を、後世に伝えることはできない。全国から高校生を集めて、名人の聞き書きをしよう。聞き書きのやり方は、私が指導するから」
早速、林野庁の職員は、文部科学省に協力を依頼し、第1回「森の聞き書き甲子園」を2002年(平成14年)に開催しました。以来ずっと、塩野先生には、甲子園に参加する高校生を指導いただいています。

聞き書きで大切なことは「その人の職業から人生を浮かび上がらせることだ」と、塩野先生は言います。その人がもつ具体的な技術を、丁寧に掘り下げていくことによって、たとえば宮大工という、その人の生き方が見えてくる。さらに、その人が語った言葉を上手にまとめることで、その人の人柄や生まれ育った背景、さらにはその人生の裏側までも読み取れるような作品に仕上がるのです。
『森をつくる椎茸』という作品は、塩野先生の教えを忠実に守った、高校生の力作のひとつです。

 

森をつくる椎茸

名人
黒木工(神奈川県相模原市)
聞き手
鈴木美愉(栃木県立宇都宮白楊高等学校2年)

自然の神秘

ある時、山に行ってみると、椎茸の胞子が一面に飛んで山の中が霧がかったようになってね。今までの人生で2、3回ぐらいしか見たことがないけど、それはそれは見事で、めったに味わえない喜びでしたね。そして春先の最盛期の山、どの木からも椎茸がいっぱい発生している、そういう姿を見ると、やってきた生きがいってのを感じるね。

高校生がつづる 森・川・海 聞き書きの本棚

「森は、共存するための家や」

聞き書き甲子園は、2002年に「森の名手・名人」の聞き書きからスタートしました。初年度に参加した100人の高校生のうちの一人、代田七瀬さんは、奈良県川上村の杉の種採り名人、杉本充さん(当時70歳)の聞き書きを担当しました。
杉本さんの故郷、川上村は、吉野林業の発祥地です。かつて豊臣秀吉は大阪城を築城する際に吉野材を使ったといわれます。また、江戸時代の川上村は、灘・伏見の酒樽をつくる樽丸の産地としても栄えました。杉本さんは、よい母樹を選んで、よい種を採り、林業の未来を支えてきたのです。そんな仕事を続けてきた杉本さんは、代田さんに問いかけました。

「森は家や。人間だけやなし、動物や植物が共存するための家や」

林業は大事だけれども、ただ、自分たちの利益のためだけに杉を植えればいいというわけではない。あらゆる動物や植物が共存するためには、人工林をつくるだけではなく天然林を残すことも大切だというのです。そして、人が植えた場所は必ず手入れをし、植えた木は育てなければならない。「このまま人間が自分たちの利益だけのために森をつぶしていったら、森は壊れる」と訴えたのです。
代田さんは、名人の話を聞いて思いました。
「名人の思いに応えるために、私にも何かできることはないだろうか」
そうして彼女は、甲子園に参加した仲間に呼びかけて、「共存の森」というグループを立ち上げました。現在、聞き書き甲子園の運営を担う「共存の森ネットワーク」というNPOは、こうして生まれたのです。

奈良県川上村/スギの種採り50年

名人
杉本充(奈良県橿原市)
聞き手
代田七瀬(日本女子大付属高等学校1年)

いたずらっ子時代

生まれ育ったのは奈良県川上村です。生家は山の中腹で、子どもんときはもっぱら山に入って遊んどったわ。遊び場は山と川やったでな。木や葉っぱで家をつくったり、崖から木に飛び乗ったり、蜂と対決したりして、スリルを味わってました。よく刺されましたよ。そういう冒険好きのいたずらっ子でした。

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